金沢市 日本三名園の一
1822年加賀百万石前田藩十二代藩主斉広(なりなが)が竹沢御殿(隠居所)を建て、奥州白河藩主・白河楽翁(しらかわ
らくおう)に命名を依頼しました。楽翁は中国宋時代の詩人・李格非(りかくひ)の書いた洛陽名園記の文を引用し、宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古(そうこ)・水泉(すいせん)・眺望の六勝を兼備する名園として兼六園と命名しました。 十三代藩主斉泰(なりやす)の代になり、竹沢御殿をとりこわして霞ケ池を掘り下げ、あらたな曲水をとりいれて以前からあった蓮池庭と調和する様に造園され、現在見られるような江戸時代を代表する林泉回遊式庭園が完成しました。 明治にはいり1874年(明治7)5月7日に一般に開放され、1985年(昭和60)には特別名勝に指定されます。 水戸の偕楽園、岡山の後楽園、そして 金沢の兼六園を日本三名園と呼びます。 |
面積 11.4ha 雪の兼六園、春の梅林が美しい 石川県金沢市兼六町1 JR金沢駅から |