倉敷美観地区(岡山県倉敷市) |
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写真目次 倉敷美観地区 |
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倉敷美観地区
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江戸時代からの町並みを残し、文化庁から伝統的建造物群保存地区の選定を受けているエリアです。倉敷川沿いにたたずむ江戸時代の蔵屋敷が立ち並ぶたたずまいは、慶長5年(1600年)幕府の直轄地である天領となってから形成されていきました。江戸時代の寛永19年(1642年)に倉敷代官所が出来てからは、周辺からの多くの人々の流入とともに備中、美作、讃岐の米、綿、油などが陸路、水路を通じて取引される一大商業地として繁栄し、川沿いには綿花問屋、米穀・肥料問屋などの蔵が次々と建てられました。 |
大原美術館 | 美観地区の蔵を利用した土産物屋が立ち並ぶ倉敷川の川筋や、観光客の喧騒から少しはなれた古い町屋の散策は勿論いいのですが、大原美術館は時間をかけてゆっくり見てまわりたいものです。観光バスで乗り付けて、2時間程で倉敷美観地区を後にする人が多いのですが勿体ない。「せっかく倉敷まで行って」と、私などは思ってしまいます。とにかくすごい。画集や教科書でみた絵画や彫刻の実物がこれでもかというほど展示されています。これから、倉敷旅行の予定をたてている方は、半日は大原美術館に時間をとるといいでしょう。(大きなお世話ですか?ちなみに美術館内は当然撮影禁止なので写真はありません。) |
大原美術館 ・ ・ ・ 児島虎次郎という人が大原孫三郎の援助で、3回にわたって渡欧し収集した名画を中心に、1930年に設立された日本で最初の西洋近代美術館。モネの有名な「睡蓮」、エル・グレコの「受胎告知」、マチス、ゴーギャン、ルノアールなどの世界の巨匠の作品100点以上、青木繁、岸田劉生、棟方志功など日本の絵画や彫刻の巨匠の作品、現代美術にいたるまでその所蔵作品は約2450件といい、現在でもなお収集活動は続けられているといいます。 | |
彫刻 |
二点は大原美術館の外に展示されているもの、もう一点はあまりの迫力におもわずシャッターをきったもので商店の前に展示?されていました。 |
倉敷代官所跡 |
アイビースクエアの敷地内にあります。幕末の慶応2年(1866年)、倉敷浅尾騒動(長州第二奇兵隊による倉敷代官所と浅尾藩の襲撃)により、この地にあった代官所は灰燼に帰し、明治の維新政府は代官所跡地に倉敷県庁を置きますがが、明治4年倉敷県が廃止され放置されたままになります。その後明治21年3月9日、代官所跡に倉敷紡績所(倉敷紡績株式会社、後のクラボウ)が創設されます。 |
アイビースクエア | 倉敷美観地区で一番有名なのはここでしょうか。明治22年に建てられた倉敷紡績工場(クラボウ)跡地を再開発したエリア。赤煉瓦の建物に蔦がからむ風情あるたたずまい。広い敷地にはホテルやレストランなどが配置されています。 |
新渓園 元は大原孫三郎氏と言う人の別邸で「澆花園」と呼ばれていたのを、大正11年に倉敷町に寄贈、
孫三郎氏の先代の雅号から「新渓園」と命名されました。孫三郎氏の雅号から「敬倹堂」と名付けられていた建物は当時公民館として使われていました。 |
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