大垣城 |
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別名 麋城(びじょう) 巨鹿城(きょろくじょう) 大垣市郭町2丁目52番地 JR大垣駅南口から徒歩7分
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大垣城由来 大垣城は古く応仁年間には東大寺城と呼び当時の城主は大井荘のうち石包名(いわかねちょう )という地域の代官職をしていた大垣氏であったようです。そこでこの城を大垣城というようになりました。その後天文四年宮川安定が城郭を築き弘治二年大垣城主氏家卜全が城郭の建築工事をほどこしました。 天象十三年九月豊臣秀吉は一柳直末を大垣城主として天守閣の造営を命じました。この工事は天象十六年七月になって完成し、その後改修を経て、以来この天守閣は四層四階建て総塗りごめ様式でたいへん優美な城として歴史の上からも貴重なものでした。 昭和十一年国宝に指定され、郷土の博物館として親しまれてきましたが、昭和二十年の戦災で惜しくも焼失しました。その後お城再建の気運が高まり昭和三十三年五月着工、翌三十四年四月昔そのままの姿で竣工したのがこの天守閣です。 (解説板より) 補足 天守の北西には隅櫓と多聞櫓が建てられている。
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開場時間 午前9時〜午後5時 休場日 火曜日、祝日の翌日、 入場料は安いのですが、
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