後楽園と岡山城

岡山市   日本三名園の一

 後楽園は備前岡山藩主 池田綱政が1686年(貞亨3年)津田永忠に命じて14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に一応の完成をみた林泉回遊式庭園です。藩主の静養の場、賓客接待の場として使われていましたが、時々藩内の人々にも観覧が許されていたそうです。館を茶屋屋敷、庭園を後園と呼んでいましたが、1871年(明治4年)に後楽園と名づけられました。
 1884年(明治17年)に岡山県の所有となり一般に公開されました。1934年(昭和9年)の水害、1945年(昭和20年)の戦災で大きな被害を被りますが、池田家の絵図に基づいて忠実に復旧をおこない、日本で唯一築庭当時の姿をほぼ残す庭園だそうです。
 写真をご覧戴ければ分かりますが、園内に入ると岡山城以外の周囲の建物は見え無いようになっています。街中にあるにもかかわらず、周囲のビルに高さ制限が設けられているようです。岡山の人がいかに後楽園を愛し大切にしてきたかが分かります。面積約13ha。
 
 岡山城は黒い下見板張りの外観から「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、また金の鯱を挙げていたと伝えられるため、「金烏城」の名もある名城です。、また金の鯱(しゃちほこ)を挙げていたと伝えられるため、「金烏城」の名もある名城です。戦災で全焼しますが、1966年(昭和41年)、鉄筋コンクリート作りで現在のものが再建され、築城400年を記念して金の鯱も復活しました。展望台からは岡山市街を見渡せます。

 水戸の偕楽園、金沢の兼六園、そして岡山の後楽園を日本三名園と呼びます。
 

 

後楽園
 (岡山城)
外観
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岡山城1
岡山城2
 

 

岡山市後楽園

JR岡山駅から
市内電車 東山行き、「城下」下車徒歩10分。
岡電バス 藤原団地行「後楽園前」下車徒歩すぐ。
両備バス 後楽園・長岡・城東高校経由西大寺「後楽園前」下車徒歩すぐ。

       

日本三名園

水戸偕楽園 金沢兼六園