四条畷神社 (しじょうなわてじんじゃ) |
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御祭神 | 贈従二位楠木正行くすのきまさつら卿(小楠公 ) | |
贈正四位 楠木正時卿 | ||
贈従四位 和田賢秀卿 | ||
他 殉節将士二十四柱 | ||
御鎮座 | 明治23年4月5日鎮座 | |
旧別格官弊社(国家の忠臣を祭る特別の神社) | ||
摂社 | 御妣神社(みおやじんじゃ) 正行公御母 |
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所在地 | 大阪府四条畷市南野2-18-1 (飯盛山麓) | |
交通 | JR片町線(学研都市線)四条畷駅から徒歩東へ1km(15分) | |
楠木正行公はは大阪府千早赤坂村に生まれた。南北朝時代、不利を覚悟で正統の天皇を守り明治維新の思想的原動力ともなった楠木正成公(大楠公、神戸湊川神社に祀る)の嫡男である。正成公の大楠公に対して小楠公。卿は延元元年(1336年)湊川へ出陣せられる父と桜井の駅(地名)にて訣別されたが、時、御年十一歳、以来母君に孝養を尽して、読書練武に励み報恩の至情を捧げた。正平二年(1347年)十二月後村上天皇に拝謁、国難に殉せん事を誓い 吉野の如意輪堂の扉に和歌を残す。正平三年(1348年)1月5日、楠木正行が足利方の高師直の六万の大軍と四条縄手で激戦の末戦死した。時、御年二十三歳。 | ||
なにわ七幸の一 四条畷神社 心願成就
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